かるみに

趣味とともに生きる

自己管理の徹底

自己管理の徹底は重要だ。

 

しかし、徹底して行える人は数少ないと思う。

私自身、研究室に所属していた時は「研究室に行かねばならない」という絶対的ルールがあるために、研究室へと向かい、研究を行っていた。面倒に感じる時もあったが、生き続けることが出来たのは、「見られている」という監視意識だったように思える。

 

現代は、監視意識に支配されている側面がある。学校に行くのは親の監視があるから、仕事に行くのは上司に監視されているから、仕事をするのは世間体に監視されているから。監視の上に成り立っていることもある。

 

もちろん、やりがいをもって行動する人も多く存在する。「仕事をやりたくない」「学校に行きたくない」と感じている人の多数は監視社会のおかげで全うな生活を送れている。

 

しかし、この監視社会がなくなる(正確には身近に感じにくくなる)と状況は一変する。監視されているから行動するという軸で動いていた多数の人は監視から解き放たれる、行動する理由がなくなってしまい、無気力状態に陥る。行動指針がなくなる。そして、かつての僕のように社会を拒絶して引きこもり状態になってしまう。

 

結局、自己管理を行うためには他人に頼ってはだめだ。自分の軸をしっかり持つ必要がある。明確に伝えられるまで落とし込まないと、一度完治してもまた再発してしまう。

 

軸を持つうえで大切なのは、受動的なものではなく能動的なもの。つまり「見られているから」ではなく「こうしたいから」という軸を持つことだ。受動的だと対象が失われると軸としての効力を失う。「見られているからやる」というようなものはだめ。

 

あ、でも一つ例外があった。「おてんとさまは見てくれる」だ。つまり二度と失われることのないものを基準に受動的に考えるならそれは立派な行動指針だよね~。