「WELQ」問題といったセンセーショナルな話題と向き合う時に意識していること【雑記】
昨今、キュレーションサイトのあり方が話題になり、例にもれず僕も興味を持っています。
今回は、DeNAが運営する医療や健康を取り扱ったサイト「WELQ」の信憑性に問題があったことから端を発し、様々な意見が飛び交っています。
↓この記事とか。
僕自身も、Googleで検索した時の上位数ページにキュレーションサイトが並ぶ様子には違和感を覚えます。
もちろん、検索上位に表示されている記事は、中身の濃い情報が詰まった記事も多いんだけど、一方で中身や根拠が薄い記事もあり、本の目次だけを延々見せられるような物足りなさを感じていました。
とはいえ、自分の考えは他人に伝えられるほど整理できていません。
- 「単純に自分の好みだけで文句を言っていないか」
- 「相手を理解せず異論を唱えたいだけはないのか」
- 「周りに流されていないか」
と悩んでしまいます。
そこで、これらのセンセーショナルな話題の向き合い方に関して、自戒もかねて記したいと思います。
センセーショナルな意見への向き合い方
僕はこういう大企業の失態という話題と向き合うとき、ルサンチマンに陥りがちです。
これは、何かと強烈な哲学者ニーチェが世俗道徳を批判する際に言及した概念です。
≪ ルサンチマン ≫
主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことを言う。(ルサンチマン - Wikipedia)
僕の根っこはネガティブの塊なんで、自分の無力さを頻繁に痛感しちゃうんですよね。
で、そんな無力な自分を肯定するために、社会や他者に原因を求めてしまう。
- 「成功者は裏では悪いことをしてるに違いない」
- 「自分の成績が悪いのは学校教育が悪い」
といった根拠のないレッテル貼りを簡単に考えてしまう。根拠がないと分かっていながらも、自分の無力さを隠すために。
だから今回の問題に限らず、個人的にいい印象を持っていない大企業がやらかしたとき、「そらみたことか」と思わなくもないです。
そんな自分は、「批判できれば理由なんてなんでもいいや」と思っていて、先ほど紹介した記事のような正当で論理立てた理由でなく、嫉妬や私怨が入り混じっています。ひどいありさま!
そのあと、嫉妬や私怨を理由に非難していることに気づき自己嫌悪。
「ルサンチマンがすべての事柄に当てはまる」と簡単に言えるわけじゃないけれど、その是非は哲学者にお任せするとして、とは言っても人は意識しないとルサンチマンに陥りがちだと思う。
自分自身を振り返ってみても、僕は簡単にルサンチマンの誘惑に乗ってしまう。
今回の件はルサンチマン状態ではないと自分で考え抜いたうえで、判断しているつもりなので厳密には異なっているけれど、安易に炎上に加担しないようルサンチマンへ敏感になろうと思う。
ルサンチマンという概念の理解は「ああ、これはルサンチマン状態かもしれない。やめよう」と嫉妬心から来る自分の暴走を抑えてくれる。
強烈なテーマに触れ合う際は、
- 「事実ではなく憶測や嫉妬を理由に批判していないか」
- 「今の自分はルサンチマンではないか」
そう考えたいと思った一連の話題でした。