かるみに

趣味とともに生きる

引きこもりの後遺症「心がしくじっちゃっている状態」はなかなか治らない

 

この負の連鎖を防ぐためにも言葉にしようと思います。

僕は1年以上、「引きこもり」期間でした。深夜に眠れずにブラブラと出歩いたり、食事を買いに出かけることがあったので厳密には違うのでしょうが、社会と関わる行為限りなく少なかった時期のことを今回は「引きこもり」と言っています。

自分の症状に曖昧なのも、当時の僕は自分を異常だと思っていませんでしたし、医者に行くという発想がなかったからなんです。

なので診断結果はなく、うつ病なのか、新型鬱病なのか、はたまたただの甘えだったのか、今となっては分かりません。

引きこもったきっかけ

きっかけは、ふと突然「これ、サボったらどうなるんだろう」と思ってしまったことでした。くだらない理由…笑

この1回目のサボりをきっかけに、なんだか色々爆発しちゃいました。サボる自分を正当化したり、外に出かけることを否定したり、社会が悪いと責任転嫁したり…

最終的には、毎日寝るのは朝の4時。夕方に起きてスナック菓子を食べる。それで色々サボってしまったり理由もなく夕方に起きた自分に自己嫌悪し、行動するのが更に億劫になる…。

そんなのが続いて精神的にも肉体的にもどんどん悪い方向へ進んでいったんです。

毎日「死にたい…」と思ってたけど、自分で死ぬのは怖いから「隕石が偶然僕の上に落ちてこないかな」って良く考えていましたもん。いや、もうだめっしょ。

オードリー若林の「心がしくじっている」分析

結局紆余曲折あって立ち直ったんだけど、この時の感覚が今まで分からなかったんです。こんなくだらない理由でどうして引きこもってしまったのだろう、と。

それにピタリと当てはまった考えが「オードリーのオールナイトニッポン」で語った若林の分析なんです。

『しくじり先生』で色んなしくじった授業を受けてるから、本当にしくじりって、パターンがあって、事件が起きてしくじった、そういうイメージがある人が授業に来るんですけど、事件の遥か前から、ずーっと心がしくじってんだよね。

ずーっと心がしくじってて、ある事件が発生することにより、それが可視化されるっていうか。

だから、松本明子先生の授業とかも、放送禁止用語を言ったことなんだけど、その放送禁止用語を言うメンタリティが、ずーとあるんですよね。

その事件でドンと出るっていうか。それが、天狗になっちゃってどうこうって、ずーっと心がしくじってて、どこで可視化されるかなんだなってことを、何人もの先生の授業を受けてて、肌で感じるんですよ。*1

僕が引きこもってしまったのは、「サボったらどうなるんだろう?」のがきっかけじゃなかった。むしろ引きこもりになり得るメンタル状態で、それがたまたま「サボったらどうなるんだろう?」で可視化されちゃったんだよね。つらい

「心がしくじっちゃってる状態」って治らない

今は「引きこもり状態」から脱却しています。朝は早く起きるし、サボるなんてもってのほか。無気力や心身の不調に悩まされることもありません。

でも、「心がしくじっちゃってる状態」は治らないんですよね

ふと「自分はなんてダメな人間だ」「こんなことしたくない」「いっそのことすべてを投げ捨てたい」と悪い考えが渦巻いてしまう。

当時に比べて友人も増え趣味も増え、満たされているはずなのに。ふと自分はだめだと落ち込んでしまう。

この思考の悪循環は「心がしくじっちゃっている状態」だし、これは引きこもりから1年以上経った治る気配がほんとない。

治らないけど予防することが出来る

「心がしくじっている状態」は一度陥ると一生付き合っていかなきゃいけない症状なのかな、と。僕の中では完治する見込みはありません。完治できないなら症状の悪化を抑え込むしかないんじゃないか、と思います。

となると、大事なのは自覚なのかな。医療だって、自覚症状がなく手遅れになることだってあるもんね。

自覚するための方法の1つが「心がしくじっている状態」と名づけることだと僕は思う。というわけで、再び「心がしくじっている状態」に陥らないために書いた記事でした。

↓若林の考えって共感できるのが多くて…ちょっと話とは逸れるけどおすすめなので紹介します。