かるみに

趣味とともに生きる

ブログ開設直後は文章術を習わない方がいいと思った理由

medieval writing

ブログを書く上で、書きたいことがうまく表現出来ないって落ち込むことがある。 

そういうときは「ブログ 書き方」と検索して対策を考えてたんだけど、最近、そのブログ論に頼りきった方法が問題だと気づいた。

書けない理由は、文章術などのブログ論に縛られているからなんだよね。自戒の意味を込めてちょっと書きます。

ブログ論は話半分に聞こう

インターネット上には多くのブログ論がある。読まれる文章を書く方法に関する記事は取り立てて多い。「言葉は断定的で言い切る形が大事だ」とか「読者を想定するべきだ」とかね。

全部正しいことなんだけど、それが逆に書き手の執筆意欲を潰してるんじゃないか、と思うわけです。

これらのブログ論は、言い換えると今まで無意識に使っていたNGポイントを上げているんだよね。

「思うって書いちゃダメ」「断定して言い切らないとだめ」「読者に伝わるように専門用語を書いちゃダメ」「一文が長くなっちゃダメ」っていう感じ。

人気のブログや面白い記事は、これらのルールをしっかり抑えているから全部正しいし、僕も見習いたいんだよね。

 

でもいきなり書かれている文章術をすべて実行するのって難しい。というより不可能。

文章と同じ言葉遣いの例を挙げると、敬語って、一朝一夕で身につけれないじゃん。

最初はぎこちないけど、徐々にうまくなっていくものだよね。半年はたどたどしい敬語だけど、数年かけてようやく、違和感なく丁寧語、尊敬語、謙譲語を使いこなせるようになる。

それと同じで、文体も一瞬で変えれるものじゃないし、数年かかる。

だからいきなりパーフェクトな文章を目指しても、絶対うまくいかないのよ。

でも上手くいかない自分を不甲斐なく思っちゃってがっかりしちゃう。そうやって喋らなくなってしまうのは本末転倒だよね。

 

ブログはなんのために書く?

ブログを始めたのは、伝えたいことがあるからのはず。文体を気にするあまり、書けなくなるのは勿体ない。

曖昧な言い回しがあってもいいし、「だと思う」が多くてもいい。大事なのは自分が伝えたいことが読者に伝わることなんだよね。

好きなブロガーの文章を読むとき、いちいち文体なんて気にしないし、そんなことに目くじら立ててたら疲れちゃう。

というわけで、文章術に囚われて文章が書けなくなるのは意味がないぞって自分に言い聞かせる記事でした。